2019.01.12 ラジオ「デモテープ」
青字 加藤淳也 黒字 ASKA
◆スタート(ゲスト紹介)
今日はですね、ASKAさんですよ、ね〜、福岡の皆さん、そしてASKAさんファンも今日聴いてるんでしょうね全国でね、ASKAさんのロングインタビュー、しかも「デモテープ福岡音楽時代」ならではのデモテープにまつわる話なんていうのね、聞いていければと思っております。そんな話は後ほどといたしましても・・・
さあ今日は予告通り、特別編と題しまして・・・
予告してたんですか?
予告してましたね〜
あ、そうですか。
すいませんね、
いやいやいや
大先生ですから。今夜の大先生はこの方です。
はい、Chageです。
すごいボケかましてきますね
いやいやいや、はい、ASKAです。
よろしくお願いします 。
よろしくお願いします 。
ASKAさんはもう、本当にもう、大分前にインタビューして以来ほんとに久しぶりで、東京に行った音楽仲間がですね、バグライフっていう、
バグライフね、はいはい
ASKAさんの家に何度もご招待されてデモテープとか撮らせてもらったなんていうね、
そうそうそう、うんうん
お話を聞いてたり、僕の周りが結構ASKAさんASKAさんって言ってるもんで勝手に僕、友達だと思ってました。
いやいや、ありがとう、ありがとう。
◆デモテープの話〜初めてのオリジナルソング
この番組ですね 、「デモテープ」ということで・・・こんなにいっぱいデモテープが届く
やっぱり未だに福岡こうなんだ
そうなんですよ
すごいですねー
それで、ASKAさんには今回、デモテープの思い出っていうのをまず聞いて、そこからヒントがあるんじゃないかって言う事を探っていこうかなと思ってます。ASKAさんがデビューする前に多分デモテープを作ってたんではないかという憶測で、このインタビューをしてしまいました。
いやいやだってほら、僕らのデモテープってのはギター一本でカセットに入れるというやつでしょ。当然、その当時の言い方するとリズムボックスもないですし、今はもうシーケンスみんな対応して、ぱっと一瞬聴くとちゃんとスタジオ撮りしたのかなと思う完成度のあるデモテープあるでしょ。だから僕らの時代とは全然違う。楽曲に関してはやっぱりほら時代っていうのは確かにあって、歌は世につれって言うように歌い継がれてゆく歌もあるんだろうけど、往々にして殆どはやっぱり時代の歌としてしか存在しないので、でもやっぱ目指したいところはどんな時代を歌ってもらえるような、たとえばナッキンコールがやってるジャズだったりとかね、なんかあの、ああいうあのね、良き日のアメリカのね、ああいう音楽に関しては、ジャズテイストの良きメロディは残っていくんだろうなと思いますね。
ASKAさんが生まれて初めて作ったオリジナルソングっていうのは何ていうタイトルだったんですか?
もう、聞かないで。
いや、それ聞きたいんですよ。
いや聞かないで。
かつて井上陽水という方がですね、非常に恥ずかしいラブソングをここで歌ってくれたんですよね。初めて作ったラブソングを覚えているよって言って。
あ、ほんとに?僕はね、高校3年生の時にね、
♪・・・が赤くなって、夕焼け空も赤くなって、君の・・lalalala・・・ っていうメロディだったですね。
おお!
その曲が初めてだったですね
てことは、やっぱラブソングですね?
うーん、そうですね。そうそう。まああの、あれがあったから順繰りに時代があったんだと僕は思ってるので、一番最初の楽曲っていうのは何となくね、あのもうすっかり忘れてしまってますけど、積み重ねなんでしょうね。
◆いま、デモテープを作ってる人たちへのアドバイス
これ、いま、デモテープを作ってる人たちにこれだけはちゃんとやった方がいいよっていう、デモテープの作り方ってあります?
あの、どうしても、なんだろう、あのデモテープのクオリティを上げたいというあまりに、必要ない時に時間がかかっている、かけてる人がすごく多いと思ってて、やっぱり詞とメロディですよ。そこにどれだけも集中してグレード上げることができるか、共鳴させるものを作ることができるか。だからあの、ギター一本でもいい曲に聞こえるように、ということではもう時代は違う。それは確かに違う。違うけどそう感じてしまうメロディっていうのはあるので。ピアノでもギターでも何か曲が分数コードを使うことによっても曲の広がりは全く変わるし、昔で言うフォーク全盛の頃のデモテープだっ確かにも今違いますけどね。時代の五輪メロディで今起きられるのでにかして確かにあると思いますね
ASKAさんって言ったらもう、僕みたいなアラフォーと呼ばれる世代の人でも子供の頃からもビックアーティストだったわけですよね、それでもやっぱり音楽で苦しいなってる時期もきっとあったんでしょう
僕はね、ないんですよね。それってそういう質問をしてくださるんですけども金曲ができなかったっていう事件なくていつでも曲はできたですね。その時その時によく刺激される音楽がくっつい周りにあったのでそのヒントになってできたですよ、ただね、歌詞に関しては、メロディーは一日中歌っててもどこかのアドリブが今の形で良かったなったきり足を繋げるだけでメールにて反省してるでしょそれはただのアドリブのつぎはぎでメロディーとしていい曲として捉えられただけだから。ただ歌詞に関してはしっかりしてないと、ただ言葉を仕込んだけど何も相手の胸は打たないので。歌詞はすごく重要ですね。歩いてる人いたらそこで何人来てる人たちを振り返らせる舐めるメロディの力が70%だと残りの30%の歌詞の力っていうのはものすごく大きくて、しっかりその言葉を伝えるっていうことが出来た曲は、実はその30%がいつの間にか逆転として楽曲の70%がしてしまうみたいな。歌詞は大切ですよ。
◆歌詞について
ASKAさんの歌詞って情景描写がすごく見えてくるっていうのと、ヒューマンっていうところに必ず触れてますもんね。
あぁ、最近はそうですね・・
印象的だったのが、赤いポストは少なくなってるけど人はこうやって繋がってんだっていう・・
あぁあぁ、「東京」だ。
時代はね、変わってるんでしょうけど。確かにポストに投函する人も減ってるんでしょうけど、人はこんだけ繋がってるってところを、赤いポストって言葉を選んだっていうのがなんかやっぱ、さすがだなとか思ったんですよね
いやいやいや、それはもう、公衆電話もそうだし。公衆電話もなくなりましたからね。だから結局、公衆電話がなくなったことによって恋愛のアプローチって変わったわけでしょう?
そうですよ
ね、昔はなんかやっぱり10円玉握りしめて、女の子の家に電話する時に家族が出たらどうしようってドキドキする時間があって、結局やめるようなことが何度もあるわけじゃないですか。
2018.10.15 ラジオ「NACK de ROCK」
青字 根本 要 紫字 窪田有美 黒字 ASKA
◆スタート(ゲスト紹介)
さて今日は、今日はなんとですね、ASKA、CHAGE and ASKA の ASKA がですね、復帰してきまして、僕は今日は友達として、色々なご意見おありでしょう。それはまた彼とは色々お話します、この番組の中でね。僕は、あの素晴らしいミュージシャンです、本当にね、同い年ですけども十分に尊敬できる素晴らしいやつですけども。
もうデビュー当時から完全にお知り合いなんですよね?そんなことはない?
そうだね、でもあっちは昔から売れてたからね、しかも同じレコード会社だった時期もあって、向こうは手厚く保護される、僕らは雑草の如く、みたいなバンドだったから、なかなか接点はなかったけどね。僕自身もとっても興味あるし、その前に僕ら一緒にメシ食ったりもしてるんですけども、今日もね、その彼が音楽活動を再開するということで、改めて彼の作品とかをですね、それから彼の言葉そのもので説明してもらいたいなと思って、今日はゲストに来てもらってます。
〜リスナーリクエスト「デェラ・シエラ・ム」
デェラ・シエラ・ムはですね、2003年に、僕がですね、ちょっと前ぐらいからそのASKAのソングライティング、それからあとレコーディング、なんか秘訣があるに違いないというとこで、それを知りたくて一緒に曲を作ろうとオファーしたら、いいよっていう話になって作った曲です。
先ほども申し上げましたけどね、僕の友人です。ASKAさん。
こんにちは。
こんばんは。
こんばんは。
よろしくお願いします。
この前はほんとに、あっという間の4時間半を、ありがとう。
中華をおごってもらっちゃったよ。
4時間半、まあまあ長い時間ですけれど。
喋りっぱなし。
どちらが。
いやいやもう、二人でもう。要もこういう感じでしょう?
まあずっと喋られますね、要さん。
であの、一応キャッチボール受けてくれるので。よくキャッチボール受けない人、いるでしょ。ずっと喋りっぱなしの。そうじゃなくてお互い受け合いだから。まあ、楽しかったな。
楽しかったね。ほんとにね。やっぱこう同じ時代を過ごしてきて、まあ、確かにこやつはもう本当にそういう第一線、だーっと行ってね。
こういって言うんだよ。美味しいんだよほんとに。
第一線行って、ドーンと転がり落ちた人間だからね。
そっか、そこかそこか。笑
まあほんとに、俺としては、その辺もうちょっと弄りながらね。いまもこれが、その時も言ったんだけどね、ずーっともし第一線でいてね、まあこの事件、事件が起こったとか言うんだよ、いや起こしたんだよお前はと言ったんだけどね。
そうそう。
それなかったらさ、きっと死んでるよ。やっぱ、おれね、今回のアルバム、この番組でも言ったんだけど、とにかく君の執行猶予というのが明けるまで聴かないでいようと思って、ほら友達ではあるけども、やっぱりそのミュージシャンとしてね、こうやってちゃんと尊敬できる人間だし、だったら俺は一応その償いというものがあるならばそれが終わってからの方が俺は気持ちよく聴けるに違いないと思ったからね。
そうだね。これはね、俺、たくさん友人いるけど、珍しい、こんなヤツ。愛の言葉として、ね。
◆作曲について:「デェラ・シエラ・ム」を作ったときの話
いや、ほんとにね、改めて俺はね、いやこの・・3月に配信みたいな形でされてたのかな?
いやいや、一応ね、ヤマハからは出てはいるんだ。店頭に並んでないだけで。
あ、そうか。
うんうん。
で今回、10月か?
はい。17日。明後日ですね。
リリースされております。『We are the Fellows』、それから『Made in ASKA』この2枚をですね、わたくし、ここ数日間、もうひっきりなしに聴いてきましたが・・・
ありがとう〜
すごいわ、ほんとに。
いやいやいやいや。
僕は分析魔ですから。この音楽がこの人間がどうやって出来上がったんだろうっていうことを、まず探りに入るんだよ。そして自分に利用出来るものはないかということを感じるんだよね。実際、さっきも言ってたんだけども、俺が2003年にね、ASKAのところに一緒に曲を作りに行こうと思ったわけ。あまりにも、そのあの90年代ぐらいからASKAが変わったんだよ、俺が知ってるASKAじゃないっていうか、こいつはこんなに音楽的に長けてたはずじゃなーい、というのがね。(笑)
大丈夫でしょうかね?
わかるわかる。要が言うことはすごくよく分かる。
ところがやっぱりさ、どんどん、なんだこれ、聴いたことないぞこんな音楽、って風に変わっていったわけ。俺はそれも知りたかったからね、あの「デェラ・シエラ・ム」を一緒に作ろうということでスタジオに入った。もうね、切れ味すごかったね。
言ってくれるんだけど、迷惑かけたのよ。
いやいやいや。 いやいやいや。そのすごさっていうのはね、「デェラ・シエラ・ム」を作った時の話をね、前もしたんだけどこの話は。本当に、二人で、もちろんChageも入ってくるけど、二人で作っててね、いいものがぼんぼん出てくるわけさ、あ、それ面白いねそれ面白いねって言って、なんとなく組み立てるじゃんか。で、ワンコーラスくらい組み立てた時に、ばーっと聴いてみて、お、良いね!って俺なんか思うよね。ASKAはちょっと待てよ、ここさもっとこうしたら良くなるじゃねぇのって言って作り直すわけ。メロディもそうやって出来る。今度は詞に関して、詞もワンコーラス書き終わった後に、よし、ワンコーラス出来た。じゃあツーコーラス目だ、休憩しようかって時にちょっと待てよと。これさこっちの方向に行ってたらもっと面白いんじゃねぇの?まあ良いけど、出来上がっているんだからこれこのまま行かない?いやいやこっちの方が面白いっつって全部書き直したんだよ。 いやでもねぇ、ここまで突き詰めていくんだよ。 それでもね、確かにそうなんだよ。でも時間がない中でなんとか完成しなきゃいけないって思った時に、一段上ったわけさ。そしたら敢えて、いやこの上り方よりももっと面白い上り方があるって降りるんだよ。これ俺初めての経験だったな。で実際、出てきたものはやっぱりそれ以上のものになると、やっぱこいつすごいなと思ったりして。俺はね、今までの彼がソロになって、もちろんチャゲアスの時代からもそうだけどアルバム聴かせてもらってて。で今回、『We are the Fellows』のね、アルバムを改めて、これ過去の作品集というものがあったから改めていうけど、その賜物だなと思ったもんやっぱり。この、突き詰めてって突き詰めてって到達した位置がある気がする。これね俺ね、ソロだから出来ると思うよ。ソロで作ってきたからね、もちろん二人でやってた時代もあるけれども、ソロになってからの突き詰め方はね、尋常じゃないなって思う。 ◆作曲について:バックボーン やっぱり例えば影響受けているものなんいうのは、俺なんかさ、子供の頃から、例えばエリック・クラプトンというさ、白人でありながらブルースという黒人の音楽を追求しようとした人に魅かれて、黒人の音楽がなにかも分からずに、エリック・クラプトンという人が作る音楽、ギターに魅かれて俺は、子供の頃から音楽を聴いてきた。それによって広がりが出てきたけど。おそらく、これは俺の勝手な想像だけど、彼らは俺たちと同なじポプコンというもので出てきて、そんときソングライターのコンテストだから、基本的には。ASKAが作った自分の曲をやってちゃんと賞をもらって彼らはデビューする。おそらく彼らは、自分のバックボーン以上に、ASKAが作る曲、あるいはChageと二人で作る曲みたいなものがチャゲアスの母体になっていたと思うわけ。ところがさ、途中から変わるわけ。それをこのあいだメシ食ってる時に質問したわけよ。お前を変えたものはなーんだって。 だって、知りたいんだよ。 どのように答えられた…? 違うよ、「静かな愛で」 なんでそんなタイトルになったんですか? 「静かな愛で」 俺、確かに事あるごとに、例えば、番組ゲストに出たり出てもらったりしてる時に結構、あの曲よく出来てるなって、俺を色々褒めてくれる時あるわけ。俺やっぱりASKAに褒められるのはとっても嬉しいわけ。それだけのソングライティングができる人だからね。でもね、あの、お互いにね、一番嫌う事っていうのがある。おそらく、これは俺の想像で言っちゃうけど、行きがちなもの、例えばメロディ―作ってると本当にほんわかしてここはこう行けば収まるなっていうのを悉く嫌うわけ。だからアルバム聴いてても、普通ならこう行くけど、俺はこう行かないよというのの連続なんだよ、そこがASKAの面白さだろうな。 そう、でも、俺はやっぱり、他に手がないからまあいいやって俺は行っちゃう。 まあいいやがないから、これを俺は改めてASKAのこのアルバムを聴いた時に、こんなに凝ってるのに自然に聴こえるっていうのがね、まあすごいことよ。これね、コード進行、一個ずつ取ってったらほんとに大変だよ。しかもね、弾き語りに適さない曲ばっかり。 ほんとに、ほんとに。俺分かるよ、これ。これ弾き語りやらんな。これは。 ◆『We are the Fellows』の選曲 今回この、ファンの方の投票で選ばれたベストアルバムが『We are the Fellows』? そして、ASKAさんの選んだのが・・・ この、ファンの方が見る目と、ご自身で選ぶっていうのはまた全然違うものですか? おー、そうなの?ふーん。 あ、なるほどね、そうだよね。 例えばビートルズの中で、ファンが選べば「Let It Be」にはならない、みたいな感じだよね。 そう。俺もそのとおりだと思った。 そうだよね。俺はその辺は、正直言うと昔から気づいてたよ。ファンの人たちが選んでもらう時に・・・ うちもやったことあるけど・・・ あのね、それはね。 君はだからね、まだね、ファンの人たちを分かってないってね、俺は言いたいよ。 だから俺はね、今も、このあいだメシ食いながら言ったんだぁ・・ あのね、いま君は確かにね、こうやって新しく新たに音楽活動すると。でもそれはさ、あの全てが許されたわけじゃなくてこっからの君を見てるんだろうと。だからあの、ここからをやっぱり普通にやるべきだし、なんかどうだ俺はもう明けたぜって言って、外に出てくるよりはまず、お前の音楽を待ってた人たちにちゃんと届かせようよって話を俺はしたわけ。 ね? だってそれによってさ、聴いてもいないのに反発する人たちが世の中いっぱいいるんだからさ。 うーん! (笑) 何にするかな? おー、素晴らしい曲です。これは『SCRAMBLE』? ね。『SCRAMBLE』というアルバムに収録されております。『Made in ASKA』のアルバムの中から「UNI-VERSE」。 このね、タータタ、タータタ、タータタ、タータタ、っていうメロディってね、ありそうでなかなかないというか。例えば僕らって分かり易いメロディを作ってみんなの心に共鳴したいわけだけど、それをただただ分かり易い方に行かない、もうちょっとひっかけようっていう、なんかね、意欲とか技みたいなのが見えるんだよ、いつもね。 そのね、ASKAさんが転調してから戻ってくるのがちょっと難しいと。 そうだよね、そうそう。1曲としてまとまる。あの、大抵は楽しいというキーがあったらそれで一曲綺麗に終われるんだけど、それをわざわざ転調していくことによって面白みを出す。それが驚きとかじゃなくて面白みを出せる人ってなかなかいないです。 ◆歌詞について あとね、やっぱりね、おそらく、ASKAが日本の音楽業界の中で作ったことのもう1つの偉業っていうのは、その、哲学的な歌詞だと思うんだよ。それは今までも、それこそ60年代70年代ぐらいのフォークでもそういうことを歌う人はいた。でもこんなポップスで、しかもね、なんていうの、全部答えを相手に委ねていって自分で言いたいことだけ言ってるみたいな詞っていうのはね、なかなか書けてないよね。だってさその、メロディは、ありきたりのものを捨てようというのがあったけど、言葉も同じように作ってたでしょ?だから例えば君のことを愛してるってどんだけ言わないでそれを伝えるか、あるいは、ついつい俺なんか、そばにいるよって終わっちゃうんだけどさ、何回そばにいるんだ俺はって、自分で書きながら思うんだよ。 だけどそれは嫌うわけさ、自分で。 ほー。 だから、デビューの頃っていうのはそういう取り組み方じゃなくて、俺もそうだったけど、何となくこのメロディーにはこんな歌詞があってこんなふうに歌えば、あの、はまるだろうというとこだったけど。 でもそれが、それを越えようとするエネルギーっていうのはなかなか出てこないからね。だって否定するんだもん、自分を。これは面倒くさいよ。 さっきの俺の、「低姿勢な声」で良いんだよ、もうほんとに。違うよ、「静かな愛で」だよ! それだけで・・・ (笑) なんかポップな・・・ 何でもいいけど、俺は低姿勢じゃねぇよ。俺は俺のスタンスがあるんだよ。 いつもこう言ってさ、こいつがラジオでさ、最近気になる芸人さんいますか?って、スタレビの根本ですねって言ったんだよ、こいつ。ふざけろって、もうほんとに。 聞いてるよ俺も。ちゃんとそんな話。何だそれと思ったもん。 芸人さんより面白いって言われてますからね。 ほんとに(笑) いやいや。分析魔だから自分で。おそらく、ASKAもそうだと思うんだけど。なんか、これが何で出来ててどうして面白いのか、何で俺はこんな興味深く聴いてしまうのかっていうのを納得しないと楽しめないんだよね、きっとね。 (笑) じゃASKAさん自身が気づかれないことも、たまに・・・ あー 2018.10.07-14 ラジオ「Premium G〜MUSIC GIFT〜」 青字 大石吾朗 紫字 伊藤美裕 黒字 ASKA ◆スタート(ゲスト紹介) コッキーポップス・・・ ーーこのコーナー、プレミアムゲストをお迎えするというわけで、出鼻を挫かれて、僕より先に喋った今日のゲスト!ASKAです。 ーーしかし、マイクの前に立って喋るの何十年ぶりだろ? ーー幾つになった? ーーやったね。 ーーそういう彼が、つま恋来るまでも何べんも落ちてるというそんな話も後で聞きたいと思います。なのでまずは挨拶代わりで一曲聴いてからまた話進めていきますので、1999年の3月に発売になりましたASKAの初のベストアルバム、ありましたね「ASKA The Best」。この中からちょっと一曲いきたいんですけど、これは私の大変気に入ってる曲なので、これでスタートさせてもらいたいと思います。 ーー「はじまりはいつも雨」。 〜オンエア ◆デビューまでのこと ーー今日のゲスト、ASKAさんの歌で「はじまりはいつも…」 ーー"ASKAの歌で"(ごめんごめん。ちょっといまね、司会者になっちゃいました)、「はじまりはいつも雨」、いい曲作ってたねー。 ーー1999年だよねー。これ、ポプコンのステージというものを踏んで、そこからまあ、プロへのスタートかな?切り開いていくんだけど、その前の事ってのはちょっと知らない人もいるかもしれないんだけども、元々九州の地区大会? ーー戦友なんだ。 ーーあっそう。という今の話をかいつまんでぐっと縮めるとChageのサポート? ーーそういう出だったんだ。 ーーそうだろうなあ。 ーーあーなるほど。そうやって組んでみてさ、つま恋へ行って「流恋情歌」を歌って、感触はどうだったの、その時ふたりの。 ーーこれはいい曲なんだよ、インパクトあって。あの「ひとり咲き」っていうのは、CHAGE and ASKA でやってるときは後期までずっと歌ってましたよね? ーーそうかもしれないね。それでまたね、演出が見事でね。あそこの「ひとり咲〜き」ってその「ひとり」で切るのよ、お、その先、行くんだったら、大分間を開けてねぇ、あれがぐーんと引っ張られるのよ。あの間は誰が考えたの? ーーなんだ、言っといてくりゃいい。 ーーそういう間なんだよね。それくらい間があんの。すごい効果的でね、あ、上手いアレンジしたなと思ってはいたんだけど。すみません。役に立たなくて。 ーーまあそれで、チャゲと飛鳥でね、デビューしてきて。俺も偉そうに言ったのよ。お前さ、「チャゲと飛鳥」ってさ、だせぇって。 ーーすごいじゃないですか ーーそこ自慢してもしょうがないんだけどさ。まあそんなことで、「チャゲ&飛鳥」のふたりがその頃、そういうふうに言ってたのよ。だから名付け親は僕なんだということを言ってたので、そんなこと言ってくれてるんだと思って。 ーーうん周りから聞いた。それでじゃあ俺もその気になろうと。名付け親は、というようになったんだ。ま、それは置いておいて。 ◆ソロ活動のいきさつ ーーそれでまあポプコンからスタートしてね。いろんなことをやってきた CHAGE and ASKA でしたけど、今回はASKAがゲストということなので、ソロの話でね色々と話を、ここからは進めて行ってみたいなと思うんですけども、ASKAがソロになるこの経緯っていうかな、Chageとちょっと別々に活動してみようよっていう、この辺の経緯ってどういうことだったんですか? ーーあ、デビューしてから?4-5年目で? ーーサポートじゃなくなって? ーーあ、そうですか。でもそれは人に書いてた曲ですよね、その人に合わせて書いてた曲を、自分でも歌ったっていうことになる。違和感はないの?そういうのって。 ーーへぇ〜。オリジナルじゃなくて? ーーはあ?また変わったところに行きましたね。 ーーえっ?どうしてですか? ーーなるほどね。ま、そういうのも乗り越えてソロのアルバムというのを作っていくようになったと。 ◆楽曲作りについて ーーしかしあれですよね。最近ってさあ、僕らやりとりしてるじゃないですか。やったら、曲書いてるよね。 ーー昔と比べてどうなの? ーー昔より今の方が凄く書いてる? ーーあら、そう。 ーー湧いてくんの?何か降りてくるの? ーーそうだね。迷いがなくなったんですね。 ーーそれはね、苦労して苦労してね。でも、作り上げる詞なんかを読んでても、展開がすごいんでさ。 ーーやっぱりこういうところは才能豊かな人なんだなってつくづく感じるよね。 ーープレゼントもらえるんだよ、こういうふうに言うと。 ーー吾朗さん入院されたときにね、頂いたんですよね?すごいキレイな。 ーーそれでもそんなにかかるの? ◆オープニング曲について ーーさて、ここでひとつ、美裕ちゃん、ASKAにお礼を言っとかなきゃいけないのよ。 ーーありがとうございます。 ーーそうですね、ちょうど1年。 ーーなに?これ? ーーあーそうなんだ。そういう作品。ASKA自身の大きなテーマがそこにあるんだなって感じするね、だからね。その曲はね。いや、本当にあのいいオープニング書いてもらっちゃった。ありがとうございます。 ーー言おうと思ったんだよ、いま。エンディングがまだ来てないんだけどって言おうと思った。 ーー待ってますね。 ーーそんなことないです。そんなことないです。 ーーありがとうございます。 ◆アルバムについて ーーさて、アルバムが、ソロのはいっぱい出てますけれども、ここんとこ出てきたのがまず、『Too many people』がある。 ーーこれは九州の思いが入ってんのかな? ーーこれ聴いた時にね、『Too many people』聴いた時にね、ASKAのこれソウルミュージックだなと思ったのよ。アイザック・ヘイズとかさ、色んな、いるじゃないですか。重たい世界を描く黒人ミュージシャンが。そういうね、なんというか、思いを感じたんですよ。 ーーだから・・・魂をね、歌ってるなぁっていう。そういった意味では作品作りにここやっぱり出来事の後は大きく変わったんじゃないかと思う。 ーーああ、そうなんだ。だから思いがすごく伝わったのよ。 ーーあ、みんな行ったんだ。そうかそうか。それは何かやっぱ、熱いものが伝わってくるわな。 ーーこんなにペース早かったっけ?アルバム。 ーーすごい違いですね。 ーーいやそれ、1年に2枚出した他にもさ、毎月書いてますっていって、3月はこれ、4月はこれとかって言ってさ、溢れてくるんだね。曲が。詞が。何なの? ーー曲が先ですかね。 ーーああそうなんだ。それでその曲に乗せて詞がパッと浮かんでくるというね。それが昔よりも早くなっているんですね。それいいことじゃないですか? ーーそういった意味では良い時期だったっていう感じもしないですからね、このところね。楽しさ覚えてる。普通大体みんな追われて追われて苦しむじゃないですか、作る人はね。楽しんで作れるっていうのはすごくいいなと思うよね。 ーーさて今週はそろそろ時間ですかね。ASKA、もう時間が来たので。 ーーうん、そう。話聴き足りないので、来週も来てもらえますか? 〜番組からお土産(サプリメント)の話〜 ◆コンサートについて ーーそして、いよいよ、待ちに待った、ASKA、11月5日から皆さんの前にお披露目をするという、ビックなコンサートがスタートしますね。 ーーまずは東京国際フォーラム。今回は全部これ、オーケストラだ。 ーー東京は東京フィルハーモニー交響楽団からスタートしますね。 ーーそれ、実は行ったことあります。 ーー大阪城ホール。 ーーなるほどねー。じゃあ、その辺がまあ、そういう経験を持って、今回の、いわゆるまあ、あえて言わせてもらえば新たなる再スタートの入り口はこれでいこうと。 ーーね。 ーー素晴らしいですねー。皆さんにも紹介をしておきましょうよ。 ーーこれはもう、やる曲目とかはだいぶもう、固まったんですか? ーーこっそり教えてもらうわけにはいかないですね。 ーー上手いね。 ーーオーケストラさんとやるのにリハーサル時間ってあんまり取れないから大変でしょ。 ーーすごいですねー ーーさすが音楽のプロだねー ーーそうそうそう。束にして。 ーーすごい。 ーーそれが見事なのよ。 ーーもうね、僕はね、オーケストラの人たちは大尊敬なのよ。 ーー自分でほら、オーケストラの映画やったじゃないですか。バイオリニスト。 ーーうん、やったのよ。バイオリニストの役をね。その時にオーケストラと一緒だったのよ。いやー、すげぇなと思ってさ。 ーーうん。もうね、だってギターなんかだったのさ、誰が弾いてもドはドだし。ピアノはドはドなんだけど、弦楽器はね、ドはどの辺ですか?みたいなね。 ーー大変なんだ。そうした人たちと一緒にやれるっていうのはね、いや、羨ましいなと思うんだけど。あの・・司会者は要らないの? ーー一生懸命、いま逃げてるね。 ーー逃げられてしまいました。 ーー楽しみですね。 ◆ラスト ーーじゃあ、話の続きはまた来週お願いするということで、お別れに一曲、聴かせて頂きたいんですが、例えばこういう中からどうですか?ほら、あの3月から毎月1曲ずつ配信してたじゃないですか、その中から何か1曲、聴きたいな。 ーーパクリとは言わないのね。 ーーふっと浮かぶの? ーーなるほどね、分かりました。それでは、7月に出したんだね、その中から「憲兵も王様もいない城」、この曲を聴きながら今日はお別れします。じゃあ来週よろしくお願いします。ゲストASKAさんでした。
本当に要ほど忍耐力がなかったら付き合ってもらえなかったと思うんだけど、なんか、やっぱりほら、なんかすごい気が変わっちゃうので、出来たものに対してまたすぐそれから連想した次のものが良いものだと思い込んでしまうから。前のものが決して悪くない、そこに拘れよって話を、最近になってようやく気が付いて。
はああ…最初っから
だから俺はね、じゃあこっちの前のやつはどうするんだ、それはもう捨てちゃって良いんじゃない?と。じゃあ俺はそれはストックとして貰っとくわと。
これが面白い。ここが美味しいところだからさあ。もうさあ、持って行っちゃう…
潔く捨てられるんですか?
いやいや、まあでも、もっと良いモノが出来るだろうと思ってね…、それは。
ソロはね、やりだしたころからの実験アルバムって呼ばしてもらってやってたからね。だからもう、思いつくことは何でもやってみようというところからやったからね。
ま、そんな話から長くなって4時間半。まあ止まらない。俺もいま、要がずっと喋ってて、俺はいま喋れる出番あるのだろうかと思いながら、どこから食い込もうかなと思ってたんだけど。こんな調子で4時間半。
いや、俺だって知りたいよ。
いやこの前ね、要がアルバムを送ってくれてて、いや、毎回聞かせてもらってるんだけど、要は変わらないって言うんだけど俺このあいだのアルバム、すぐ要に感想送って、いや本当に曲がね、テンションに行くと気持ちよく、より音楽的に聴こえる角っこのところにすごく攻めてたりとか、違う風に感じて。要は変わらないって言うんだけど。それの…なんか、本当に連続でそれが起こってたので、もうね最初4曲目か5曲目で要にすげえってメールを打って、最後聴くまでに。いい曲、いい曲、いい曲って続いて、最後に「一生低姿勢」って曲があるのね、要の。いい曲だよ、アルバムの最後は。違ったっけ?「素敵な低姿勢」だっけ?
あ、「静かな愛で」か。
そのタイトルの曲が出て来た時には、やっぱね、アルバムの角っこに、この「一生低姿勢」が出てくると・・
これ狙ってやってるとしか思えないでしょ。すぐメールを送って。いま2回目を聴いてると言いながら・・・、あんなの初めてだよな。
そうだよ。お互いそういうところに敏感だったんだよ。
行ってない、行ってない、行ってない。
そうなんだよな、ほんとそうなんだよ。だからもう出来ないもん俺。
無理だな。うん。
が、『We are the Fellows』。
のが、『Made in ASKA』。
あの、えっとね、さすがだと思ったのは、いまこのような状況の中で、好きな曲を選んでくださいっていうことだけだったのよ。それで、ソロの楽曲を並べて、あなたが選ぶベストテンはどれですかと。で、あの、結果的に13曲を並べたわけだけど、俺はね、「はじまりはいつも雨」は入ると思ってなかったんだよ。
だってね、ほら、好きである人たちってさ、それを先に行くとマニアックになってくるでしょ。あれは世の中に出ている曲だから、私は選ばなくていい、おれは選ばなくていいってね。
だから「はじまりはいつも雨」は選ばれないだろうなと。それは自分のベストアルバムに選べばいいやと。
そうそう。て思ってたんだよ。だけど早々の3位で出てきたわけ。その投票を見た時に、あ、これはベストアルバムとして世の中に何をASKAを紹介すればいいかってことをみんな考えてくれたんだなという選曲になってて。
いや、これはね、さすがだっていう、俺が言っちゃいけないんだけど。やられたと思ったよね。びっくりした。
またお前、何でお前だけ気づくんだよ。
ずるいよなお前、ずるいよなー、ほんとに。ほんとに。大事な美味しいところだけ持ってく。
「素敵な低姿勢」
また来たよ、また来たよ。
うん。
うんうん。
うん。
要がね、そういってメールくれたのは、俺はね、お前を誤解されるのは嫌なんだと、お前が誤解されてお前の音楽を否定されることだけは嫌なんだというメールくれた時には、ズキューンってきてね。
こいつ・・・と思いながら、やっぱもう、ジーンとしながら、メールは返信したわけだけど。ま、そんなね、やりとりがありながら、4時間半だったんだけど。
とにかく1曲紹介しよう。
あ、そっか。
そうだね。じゃああの、わりと勢いづいたところで、「UNI-VERSE」かけてもらおうかな。
『SCRAMBLE』ですね。
〜「UNI-VERSE」オンエア
いまね、曲の間に転調の話をさせて頂いていて、スタレビもかなり転調が多いんですけど・・・
部分転調がすごい多い作品だよね。
転調は、あのね、いきなりの転調は誰でも出来る。もうね、誰だって出来る。だけどそこはね、今度戻ることに難しさがあって、ちゃんと戻って見せてこその完結だという作り方からいくと、誰だって出来る転調ならどうぞ行って下さいと、戻ってくるのが完成形です、という人からは、なかなかそこはね、ハードルが高い転調ですね。
(笑)
(笑)
あ、ASKAさんが?
うん。ASKAの見てるとね、これはね、びっくりするぐらいあの、なんだろうね、細やかにちゃんと文章構築してってるっていうかね、ときに飛ばすんだよ、ぽーんって。でもその次の言葉で埋めていったりするからね。ちゃんと理由があるんだよね。歌詞を作っていう事に関してはね、俺、ASKAの影響受けてる人多いと思うよ。
これはね、歌詞全然出来なくてさ、デビュー当時。もう本当に出来なくて出来なくて。プロデューサーから鍛われて鍛われてどん底突き落とされて、その時に目の前に現れたのが歌詞集じゃなくて散文詩集だったのね。
それでもう、ほんとね、本屋さんっていう本屋さん、巡り巡ってももう、古本でもなんでも散文詩集をとにかく集めて、外国のものでも全部、読み漁って読み漁って読み漁ってきたので、その辺りから詞はね、確かに違うって言われだしたのはその辺りだよね。それは確かに影響あったと思うね。
そうなんだよな。
そうですよね、自分の中から出てくる言葉じゃないのを、またあえて探すという。
そりゃ、たまにね、10曲のうち1曲はこうしましたじゃなくて、ASKAの曲全部そうじゃんか。なんでこんな面倒くさいことしてるんだと思うよ。
(笑)
(笑)
間違ったこと言わないよ。別の番組で、要の曲かけてきたんだけど、「美味しい低姿勢」で通っちゃったよ。
(笑)
あの、『還暦少年』の最後に「美味しい低姿勢」っていう、すごい良い曲があるんで、それかけて下さいって。
しろよそれに。サブタイで。
いや、低姿勢。お前、美味しいところ持っていくんだよ。そうやって。ねー、もう。
(笑)
(笑)何でそういうとこ、届いてんだよ、お前に。
(笑)
こいつはほんっとに面白い。
ほんとに面白い。
俺はそこまで行ってないけど(笑)
お前の分析力・・、もうね、ディテールがね、ほんとにちゃんと積み上げて分析していくから、それはね、時々ね、そう言われるとはっとする時がある。そのくらい分析は確かに。分析魔。
あるでしょうね。
そうそう。色んなことが、細かいことが出来るのよ、彼は。俺なんかさっきも曲作りにしてもそうなんだけど、誰々風にしたいと思ってもコピーが出来ないから。全然違う曲になってしまうわけ。要はコピーしようと思ったら出来る、キレイに。俺は出来ない。雑なのか、違うものなのかになってしまうので。それがまあ、違うものになったことで喜ばなきゃいけないなと思ってるのが現在の姿であります。
まだまだつづく・・・
ーー(違うんだよ)
(違うか…)こんばんは、お元気ですか?大石吾朗です。
ーー(違うの!)
ーー(笑)びっくりした、びっくりしたー
どうもお久しぶりです。
ーーよろしくお願いします。
お久しぶりです。
34,5年ぶりっすよ。
僕、60になりました。
やったねじゃない。吾朗さん知り合ったの僕が21の時だから。その時はアマチュアでねぇ。ポプコンというのがもうとにかく全国アマチュアの甲子園みたいなもので、何万曲という応募の中から、つま恋本選会出れるのは20数バンドで。
あ、ありがとうございます。
"ASKAさん"て、やめてくださいよー、吾朗さん。
いやいや、ありがとうございます。
そうですね。九州大会の前に福岡地区大会ってのがあって、それがね、福岡やっぱすごい激戦区で、50バンド近く出るんですよ。1日に。その中から、でも半分以上、賞を取るんですけど何かの賞を。僕は2回、1個も取れずに。で、3回目に、これで最後にしようと、就活もあるので。3回目に出てみたら最優秀歌唱賞を取って。そしたら余計な事に、本当にもう思いもよらないことにその時にChageも一緒に出たんですけど、あいつがグランプリ取りやがりました。やつが九州大会出ることになった時に、ヤマハの方からChageの声は芯があるけど幅がないっていう声で、その幅の分をお前が担当しないかってことで、一緒に歌ってみたらどうだっていう話もらって、それで一緒に九州大会出たんですよ。ただ、優勝曲賞取ったんですけどつま恋行けなかった。吾朗さんに会いに行けなかった。15回で。で、でもねあの、僕はお手伝いで、Chageのお手伝いで出たはずだったんだけど、落ちてしまうと妙な気持ちの一体感があるんですよね。
そうそう。それで、分かった、次16回は何としても俺、曲を書いてつま恋に行くからって書いたのが「流恋情歌」でつま恋行けた。
そうそうそうそうそう、そう。もうね、出だしがサポートなの。 もう余計なお世話でしょう?
もうほんとに、九州大会はね、あいつのサポートで出てて。これね、一瞬ね、プライドがやっぱね、揺らぎましたよ。
一回断りましたから。それは無理です、つって。だけどねやっぱ、よくよく考えると九州大会というのは経験しとくのも良いだろうなと。だからやってみたところ、まあでも、あれは良かったですね、気持ちの切り替えが起こったのが。
感触はですね、悪くはなかったんですけど、リハーサルで円広志さんが「夢想花」の、飛んで飛んで歌ってるの聴いた時に、クリスタルキングと一緒に出てたんですけど、クリキンって呼んで、俺たち無理だわと。飛んで飛んであんだけ連呼されたらヒットでしょこれ。案の定、円さんグランプリ取って。やっぱでも、それはそれなりに悔しくて。その後すぐレコードデビューの話があったんですよ。だけどなんかねオリジナルもそうそう持ってないし、こんなんでデビューしてもすぐ底ついて終わるなと思ったんで、自分たちに本当に実力あるかどうかもう一回試してみようと思って。もう1回、1から応募して、次の17回に応募して、もしつま恋に行けたらデビューしようって決めて。それで「ひとり咲き」っていうのを作った。
えっとですね。ここぞという時にやると本当に新しい最近のお客さんでもやっぱりデビュー曲って特別なんですね。僕らと同じ感じで、同じものじゃないでしょうけど違う種類で受け取ってくれてて感動してくれるんですよ。だから「ひとり咲き」って、デビュー曲って特別なんですね。
いや、僕なんですけどね。「よっ、中村屋!」と来るかと思ったんですけど、「中村屋!」って言って来た時に「咲〜き」って歌うんですけどね、それ言ってくれないので。
そうそう。それが欲しい。
いやいやいやいや。次はやって下さい。いや、うそうそうそうそ。
九州大会のエントリーで、コッキーポップ初めて流れる時に情報聴いていたので、今日吾朗さん流してくれるらしいと。アマチュアでラジオ流れるってのは相当な喜びだから。俺たちは「チャゲと飛鳥」でしょ。だからコッキーポップで吾朗さんが、続いて九州地区からのエントリー曲です、「チャゲ&飛鳥」って言った時に、こっちの方がかっこいいやん。だから、「チャゲ&飛鳥」の名付け親は吾朗さんですよ。
ーーいや、そこだけな。
ーー「&」は吾朗さんってことですね?
そうそうそうそう。
いや、本当ですから。
実はですね。1979年のデビューなんですけど、4-5年目ぐらいからソロアルバムを出したいって言い続けたんですよ。
そうですね。やっぱり作品意欲が芽生えてきてる時なんでしょうね。CHAGE and ASKA だから出来ることと、CHAGE and ASKA だから出来ないことっていうのがあって。実はその時に、プロデューサーの、吾朗さんもよく知ってる山里剛。山里剛ちゃんから、まだ早いまだ早いと言われ続けて。まああのチャゲアスでリードボーカル取ってるのはお前だし多いし。
サポートじゃなくなった時、サポートじゃなくなった時!(笑)。リードボーカルが多くなった時!(笑)。そうそうそう。それで、ソロはないんじゃないかということで。でも僕はやっぱ、ソロをやることを諦めきれずにふと思ったのが、本当に、9年目か10年目の時に、ありがたいことにあの、いろんな方々の楽曲提供してたので、その楽曲を自分が歌うというコンセプトであればこれ形になるんじゃないかと。これはソロというよりも一つの企画じゃないかということで納得してもらってソロを始めたのがきっかけなんですよ。
どうなんでしょうね。歌ってくれる方の、僕なりに感じる特性みたいなのを自分の中で考慮…加味しながら作ってはいたんですけど、やっぱりでもほら、メロディ癖ってそうそうはね、やっぱり自分のやつってあるんでしょうねぇ。だからそんなに違和感はなかったですね。その時にね、本当にやりたかったことあって。カバーをやってみたかったんですよ、当時。
そうそう。当時カバーってやる人まだいなかったので。で、僕、「蘇州夜曲」が歌いたくて。
そう。すごい好きで。そして歌おうとしたらストップかかって。歌わせないと。歌っちゃダメだと。
あれねぇ、ある方が、「蘇州夜曲」ってすごい有名な楽曲なんだけど、お笑いの方がアルバムに入られた時に「きぃぃみぃぃがぁぁみぃむぅぅねぇぇにぃぃ」となんか、ギャグったらしいのね。で当時ほら、著作権っていうのは書いた人が持っているんじゃなくてレコード会社が持っているでしょ、それもあって、結局あれはもう二度と歌わせないと言われて。それからもう何度も通って。先に歌っちゃたんですよ、レコーディングしちゃったの。それで音を届けて納得していただいてそれでアルバムに入れることになったんですよ。もう今はねぇ、みなさん歌ってますけど。あの頃はすごい壁だったんですよ。
そうですね。
いや、全然びっくりですよ。自分がびっくりしてるぐらい。
だって、デビュー当時、オリジナル6曲しかなかったんですよ。それで出来なくて出来なくて。僕は曲はね、そんなに時間かからないんですけど、とにかく歌詞の煮詰めがもう、本当に人がもうそんくらいにしとけよっていうぐらい、以上に、もう煮詰めるので長いのになるともう、1か月以上かかる詞もあったんですけど、何かね、どこかで何かが起こったんでしょうね、気持ちのね、それからね今ここ数年4時間以上かかったことないです。
うん。だから楽曲早いんですよねぇ。
前にこだわった時ってのはひとつのフレーズにどれを使おうかっていっぱい並ぶんですよね、それが今は、そのいっぱい並んだフレーズにすって手が伸びる。これだっていう風に。だから・・・あの迷わなくなった。
ーー作り方自体は変わらない?
変わらない。ただあの、一刀彫みたいにAメロの1ワードからずっーと書いていっていたんだけど、今はBメロからでもサビからでもどこからでも入っていって、後はちゃんと世界観を繋げていくっていう、やっと覚えましたね、この技をね。長かった(笑)。
ありがとうございます。
いやいや、ありがとうございます。
浮かぶ地球儀が来たりする。
ーーすごい良いんだよ。ただね、セッティングすんのに時間がかかるんだよ。宙に浮かすのがね。微妙なのよ、1mmも狂えないのよ。
正方形のね、電磁石の盤があって、板があって。その板のど真ん中に置くと、その地球儀が空気の上に浮くのね。モノが浮くっていうのは、僕らの当然からは外れるわけで。だからね、すごい不思議。
そうそうそう。すぐ出来ましたよね。
ーーかかるかかる。ところがASKAはあっという間だったよ。
ーー慣れると早いんだ。すぐに出来る。
ーーすごい素敵なのよ、オブジェ・・
ーーへぇ、いいなー。
ーーそうです。
ーーこの番組が始まった去年の10月、オープニングテーマ曲、はい。今日明かします。
ーーはい。
ーーあの曲は、ASKAが書いてくれたんですよ。
ーーそうなんです。ASKAさんが書いてくれまして。
ーーありがとう。ほんとに素晴らしい作品書いてもらって。
いやいやいや。
書いてくれたと言ってくださいましたよね、書かせてくれたんですよ。吾朗さん、あの時ね、まあまあ、色々あった中でASKA助けようというのがあって、もうね、吾朗さん企ててくれたのよね。番組でオープニングやらないかと。それで書かせてもらって、いつかゲストにASKAを呼んだ時にそれを公開しようというのがあって、今日・・・ですね。
ーータイトルは、「Mr.Nibiru」でいいの?
はい。「Mr.Nibiru」ですね。
Nibiruってね、惑星Nibiruって言われてて。普通軌道っていうのは一定の円を描いているんですけど、Mr.Nibiruって楕円形なんですよ。それでね、そのNibiruが来る時に地球にすごく災害とか、人類が何度か、文明が5度目って言われてますけど、その原因はNibiruじゃないかとも言われてて、Nibiruが到来する時に世の中は滅びるって言われてるんですけどで、それで僕は今回、Mr.Nibiruが、今、よくねぇ噂されてMr.Nibiruが発見された発見されてないだとかあれはNibiruだNibiruじゃないとかいうやりとりがなされてますけど、「ハロー ハロー ミスターニビル ミライヲ ウバワナイデ」っていう歌い出しなんですね。
とんでもありません。エンディングが遅れてすみません。
そうそうそうそうそう。
ーーでもね、これだけ曲が一杯出来るんだから、すっとエンディングが出来たよって来そうなもんなんだけどね。なかなか来ないよね。まあそのおかげでね、あのエンディングは美裕ちゃんの歌を・・
ーーそうですね。
ーーだから、美裕ちゃん自身はエンディング書かないで欲しいなと思ってるから。
良かった。それは良かった。
すごい素敵な声でね。
ゆっくり書かせてもらいます。
そうですね、去年の2月、ですね。
「FUKUOKA」というのが入ってますね。
ああ、そうですか。
そうですね。あの・・・作品はすごく出来たんですけど、今あえてね、出来事って言ってくださいましたけど、まあね自分の起こした事件によってあのスタジオが使えなくなったんですね、コンプライアンスで。もう東京のスタジオ全部無理で、やろうと思ったとこは全部使わせてくれないので困ったなと思った時に、矢先に、ふるさとの福岡が帰って来ればいいじゃないかって言ってくれて、福岡のスタジオはどこでもOKだぞって言ってくれて。そうかやっぱり福岡だなっていうのがあって、それで「FUKUOKA」って曲をアルバム最後に作ったんですね。
ASKAバンドで連中が全員福岡に結集して、福岡でレコーディングしたんです。
ーーそうですね、その地で歌われているわけですからね。
ーーでもすぐ10月には『Black&White』で。
そうですね。
ないないない。僕は7年に1枚ですよ。
ほぼ、オリンピック2回に近い1枚だから。7年に1枚って、あり得ないでしょ普通。それをね、去年は1年に2枚出すことにしたんで。
何でしょうね。あの、前から作ろうと思った時には出来てたんですけど。さっき説明したように、詞が出来なかったんですけど、とにかく詞が速いので、今。だから前は曲を作るごとにどんどん重たい物増えていくんですよ。これ以上曲作るともっと自分を苦しめると。詞が溜まっていくので。今ね、曲を作った翌日に詞が出来上がってるんで、本当にそういう状況が続いてますね。
曲が先です。
そうですね。なんかあのーここに来て、今年3月から半年間毎月リリースさせてもらって。なんでしょうね、楽曲を書く楽しさっていうかな、こんな楽しい事って過去経験したことあるかなっていうぐらい。だからアマチュアの時はそうだったですけど、なんかね、楽曲書く楽しみをまた、また知りましたね。今すごい楽しいです。
全然そうですね。苦しいと思わないですね。
コッキーポップの始まりも?もう今日これで?
いやもう、よろしくお願いします。
そうですね。
そうなんですよ。
そうですね。これね、2008年ちょっと前か、2006年か7年かな、えっと一度あの、服部のたかちゃんと一緒に、たかちゃん指揮でオーケストラでやったことあるんですよ。
あっ、ほんとに?
オーケストラと歌うってことは、まだその文化がなかったので。すごい話題になったんですけど。その後にすごくうまくいったので、2008年にもそれやったんですね。ただ、東京だけではもったいない気がして。これで全国を回りたいと思ったんすけど、流石にオーケストラ60人とまわることは出来ないんですよ。なんとかいいアイデアないかなと思った時に各地方にも交響楽団がいるはずだと。各地方の方たちとやってみたらどうだろうと。ひいては各国とやったらどうだろうと。これが2008年アジアツアーになったんですね、日本を含めた。皆さんやっぱすごいオーケストラの方っていうのは、小さい頃から「音学」、学ぶ方を学ばれた方たちなので、譜面さえあれば、音符がデザインのように見えるので、僕ら一個一個読まなきゃ駄目じゃないですか、彼、彼女たちはブロックごとにデザインで見えていくので指が勝手に動くんですね。だからその譜面さえあればもう全世界で出来ますね。
そうですね。声かけていただいて、ほんと有難かったです。
はい。
ASKAさんのライブ、「ビルボードクラシックスあすかプレミアムシンフォニックコンサート2018プライド」11月5日月曜日の東京国際フォーラムホールAでの開催を皮切りに、大阪、仙台、兵庫県の西宮、京都、札幌、横浜、福岡、チケットは現在発売中です。チケットのお問い合わせ、現在の販売状況などはASKAさんのオフィシャルサイトでご確認ください。
もうね、もうほぼ、決まってますね。
いや、こっそりも何も、曲目は固まっているんですけど、どの曲選んだかいま覚えていないだけで。
いや、ほんとにほんとに。打ち合わせの時に、一生懸命あんだけ時間費やしたのに覚えてないんですよね。
そうですね。リハーサルはでもオーケストラの方々は、どの地区の方も、一回リハーサルやって翌日本番ですね。
本当にすごいですよ。
そうですね。いやもう僕らはね、吾朗さんも一緒だけど、ギター弾く時、和音で弾くじゃないですか。
オーケストラの方々は、音1個しか弾かないから。
その60人がひとつの和音を作るわけでしょ。
だからコンダクターの役割って大きいし、本当にプロですよね、すごい。
僕もそうです、本当そうです。
ーーうーん。
あ、そうですか。
すごいですよね。
あーそう。弦楽器はそうそうそう。ポジションマークがないから。
それはあの・・あの・・、なんだっけな、コッキーエイジ・・じゃない、ポプコンエイジじゃないので。吾朗さん、ポプコンエイジねぇ、聴いておりますー、はい。
いやいやいやいや。そんなことないです。
ーーいいよ、観に行くよ。
ぜひ来てくださいよ。
ーーぜひ、大成功に終わるように我々も祈っております。
「憲兵も王様もいない城」って曲あるですね。7月に発売された曲なんですよ、リリースされた曲で。すぐアレンジのアイデアもあって、ポリスの「見つめていたい」このギターのフレーズを聞いただければあの曲だと思ってくれると思いますね。あれのオマージュですね。
今誰もやる人いなくなったので、あれをねやってみたら面白いかなと思ってやってみました。
楽曲を作ってアレンジしてる段階で、あのリフがすごく面白いんじゃないかなと思って。ニヤッとしてくれるだろうなと思って。
※非公式サイトです。ご意見、お問い合わせは、こちらまで。