ASKA活動情報

書き起こし



2017.12.09, 16 ラジオ「田家秀樹 J-POP TALKIN'」



2017年12月9日オンエア
 22:05 塗りつぶして行け! ASKA
 22:14 オレンジの海 ASKA
 22:24 (シークレットトラック) ASKA
2017年12月16日オンエア
 22:05 誰がために鐘は鳴る ASKA
 22:13 今がいちばんいい ASKA
 22:23 Fellows ASKA


以下、podcasting(ノーカット版)より書き起こし

青字 田家秀樹 黒字 ASKA


◆オープニング

ーーということで、ASKAさんをお招きしておりま〜す。こんばんは。
こんばんは。お久しぶりです。

ーーよろしくお願いします。
いつぞや、ありがとうございました。

ーーいえいえ。今年、あの、この番組のゲストはですね、2012年のアルバム『SCRAMBLE』以来。
うわあ、そうですか。

ーー丸5年ぶりです。
5年ぶりだ。

ーーお帰りなさいという感じですかね。
あ、もう、あの、実はですね、世間をお騒がせして以来、実はこういう風な形で出演させて頂くのは、ここが初めてなんですよ。

ーーこれ初めて!?
はい。一応、「明け」です。いやまあ、色んな意味で明けてはいないんですけど、僕にとっては皆さんの前でお話する意味では「明け」ですね。

ーーなるほどね。いや、それで、わたくしで光栄ですという感じがありますけど。
いや、とんでもないです。大丈夫ですよ。ありがとうございます。

ーーでも、今年はお帰りなさいという声を、色んなところでかけられたでしょ?
そうですね。なんか、あの、そうですね。お帰りなさいという言葉は一番多かったかもしれないですね。うん。

ーーライブもね。既にプライベートライブもおやりになっていますし。
ライブということでもないんですけどね。わりと今、何て言うんだろうな、長い事やっているとミュージシャン仲間もいるので、声かけてくれる方もすごく多くて、その中でも何となく、ここだったら色んな意味で受け入れてもらえる、甘えさせてくれるかなというところだけを出してもらっているんですけどね。


◆今年2枚のアルバム『Too many people』『Black&White』

ーー2月に『Too many people』が出て、10月に『Black&White』が出て、この2枚のアルバムが今までのASKAさんのキャリアの中でも客観的に聴いていて一番良いんではないかという2枚のように聴こえたんですよ。
本当にそう言って頂けるので・・・、何て言うか、何て言うんだろうな、ここに来てそういうこと言ってもらえるということは自分にとってひとつ、励みにもなりますし、なんか、色んな出来事は意味があったのかなあと思ったりもするんですけどね。起ったことは良くないんですけど、自分にとっては何か意味があったのかなと思うようにしてます。はい。

ーー特に『Black&White』、今年になってから作った曲が殆どなわけでしょう?
いや、実はですね、もうあの、50曲ほど溜まっていたんですよ。それで『Too many people』を選んで、『Too many people』は事件後の初めてのアルバムで、これ2月に出たんですけどね。それで10月に『Black&White』で、殆どの楽曲が揃っていて、それで僕はアルバムは1枚の円と捉えていて、その360度の中に上手〜く、時計のように曲、例えば12個並んでいくような、隙間が出来ない、僕の場合は、カラーがバリエーションだと思っているので、そのバリエーションをすごい大切にして作ってますね、毎回。


◆『Black&White』のジャケット

ーー『Black&White』の方のジャケットを見てですね、どっかでみたジャケットだなと思ったりもしてですね。
ああ、そうですか?

ーー『風舞』
ああ、なるほどね。はい、『風舞』。え〜・・・

ーー1枚目のアルバム。
そうですね。

ーーCHAGE and ASKAの。
はい。

ーーで、このまあ、色々クレジットというものを見てましたらですね、デザイナーが西本さんだった。
はい。ええ、そうですよ。「SAY YES」とか「YAH YAH YAH」とか、あの頃に大活躍してくれたデザイナーの西本さんが、いま熊本で「遊美塾」というのをやってらっしゃって。生徒さんがたくさんいて。で、まあ、声かけて・・・、かけたんじゃないなあ。『Too many people』の時の写真、あの・・・

ーーええ、ジャケットをね。
あ、ジャケットじゃないや、えぇっと・・・、例えばあの、ちょっと色んな使える写真を選んでいる時に西本さんが、次のアルバムは僕がやるからと言ってくれたので、『Too many people』の段階で次のアルバムは西本さんで決まっていたんですね。


◆『Black&White』アルバムタイトルについて

ーーこの『Black&White』というタイトルも、2曲目の「Black&White」が出来た時にアルバムタイトルにしようと?
アルバムタイトルはね、実はね、つまんないことばかり言いますけど、アルバムを象徴するものが僕はタイトルではないと思っているんですね。メロディにキャッチがあるように、歌詞にもあるように、アルバムタイトルの響きにもキャッチがあるように、というのが必要だと思ってるんですね。だから何気に、総称して『Black&White』というアルバムが出来たという、その一曲の「Black&White」というのがタイトル曲にふさわしいサウンドを、響きを持っているということでタイトルにさせてもらいました。


◆2曲目「Black&White」について

ーー「Black&White」、これはまあ、色んな聴こえ方が、聴き方が出来ると思うんですけど、「ありがとう」と「ごめんね」というね、これはもう聴き手の色んな想像ではあるんでしょうけど、やっぱりこの何年間というのを受けた言葉のようにも聴こえましたけどね。
ああそうですか。うん。何かあの、これはね、人間の種類というのは千差万別と言いながら、大きく分けると何となく12個の中に収まるんじゃないかという気がしていて。ちょうど鍵盤が12個なんで。ドレミファソラシ、半音を入れると。それぞれのキーがあって同じキーの人は合うんだと。別のキーの人は合うところもあるけど合わないところもあるという、合うところを探し合ってお互い社会生活の中で、気の合うところを見つけて付き合っていかなければいけないんじゃないかなという、まあそんなことですよね。だから「ありがとう」は、僕と同じキーの人でいてくれて「ありがとう」というのと、君とは合わないんだ「ごめんね」ということですよね。


◆『Black&White』のカラーについて

ーーこのアルバムがですね。『Too many people』は2月に出たということもあったんでしょうし、ある種の・・・無念さ。無念さっていうと変ですけど、言えないことと言いたいことが、なかなか言葉にならなくて音楽にならなくて、でも、歌をやるんだ音楽をやるんだというその、ある種の緊張感、みたいなものがちょっとこう胸に迫ったところがあって。『Black&White』はもっと開放的な感じがしますもんね。
そうですね、位置づけは本当にそうですね。立ち上げた時からこのアルバムはこういうカラーになるんだというのは大体見えてましたんで。・・・というアルバムにするにはどういう曲が足りないかというのを考えて、新しく加えていったのもありますし。


◆歌詞づくりについて

ーー毎回そうであるように、今回も詞が大変だった?
いえいえいえいえ。あんなに詞が出来なかったのにね。今回もね、4時間かかった詞は殆どないですね。これはもうちょっとびっくりなんですよ。『Too many people』の時もそうだったんですけど。4時間いってる詞はないですね。僕にしてみたらあり得ない。ねぇ、1週間出来ない、1か月出来ないなんてことはあったわけですから。

ーーまんじりともしないで何日間とかね?
えぇ、えぇ、えぇ。

ーーそれがなかった?
なかったですね。前はね、楽曲を書く時に、ひとつの拘りがあって、どうしても1行目までの距離が長かったような気がするんですよ。で、最近は、1行目を何となくテーマを決めたら書いてしまって、それで大枠が決まったら、ちゃんと自分の中でクリア出来るところに行くまでを、今度、大枠が出来た後、書き直していく作業なんですね。前はそれがなくて、1行目に行くまでにずっとまんじりともせずに悩んでいたりしてたので。

ーー1行目が書けなかった?
書けなかったですね。むしろ1行目を書ければ、後は早かった気がしますね。

ーーでもそれは、今回はそれだけ歌いたいことがはっきりしていたということでもあるんですかね?
どうなんでしょうね、これはもうね、自分でも分析できないんですけど・・・。本当に詞は速かったですね。夕方くらいからレコーディングやるのに、午前中にまだ何にも出来てなくて。で、1個作ってダメで、これやめようと思って。2曲目全く別のテーマで作って、それもやめて。もう一度トライしてみようと。結局、3回作って3回目でOKという時もありましたからね。1日3つ詞作った日もありましたから。


◆8曲目「今がいちばんいい」について

ーー新しいってことで言うと「今がいちばんいい」かなと。
まあそうですね。これはもう、あの・・・、突き抜けた感を出したかった楽曲ですよね。あの〜、ずっと僕・・・、そう答えてきているんですよ、昔から。昔を思い出して、あの頃が良かったねっていうことで話が盛り上がるんですけど、でも、どこが良かったって言われたら、今が一番良いかな、という風にずっと答えてきているんですよ。でね、これ嘘偽りなく今でもその気持ちは変わらないんですよ。きっと僕はこうやっていって行くのかな、一生、と思ったりもしてるんですけどね。

ーーこの曲があることで『Too many people』との全体の印象も違ってきているんでしょうしね。
はい。
えっと、こんなこと言うと調子に乗ってと思われそうなんですけど。もうすぐにでも次のアルバム作りたいくらいなんですよ。だから、楽曲は本当にまだあります。

ーーここに来てそういう状態になっているっていうことが、とっても意味があるなとも思ったりしたんですけど。


◆散文詩と歌詞について

ーー『Too many people』もそうですけど、冒頭にね散文詩がある。『Too many people』は3篇でしたけど、これ4篇載ってるでしょ?この詩は、アルバムの曲の歌詞とは違うという意味合いで書いているわけでしょ?
全く違います。

ーー詞とは同時並行で書いているわけですか?
実は長い間、僕の中での、表に出ない、皆さんにとっては空白に見えていた時間があるんですけど。その時に、楽曲づくりと並行して・・・、あの・・・詩が得意じゃないくせに詩を書いてみたがるヤツでして、所謂メロディの付いてない、譜割のない自由な散文詩の世界がすごく好きで。それを書き留めていたんですよ。それが・・・140篇くらいあるのかな?それがたくさん出来て。ブログなんかでも少しずつ公開してはいたんですけど、その中をチョイスしたものもありますし、新たに加えたものもあります。今回の散文詩の中では。

ーー歌の詞とは別に書いてるんだ?
はい。

ーーそういう散文詩を書いている時に、メロディが浮かんでいるとか、自分が歌っているのを想像されるとかっていう、音楽との関連性はそんなにないですか?
ないですね。メロディになる言葉というのはやっぱりあるんですね、それは。だから散文詩の場合は、いかに情景・・・、歌も情景なんですけど、ちょっと書き方が違うような気がしますね。僕の中でまだ、それが何かという答えのようなものはお伝え出来ないんですけど。散文詩と歌詞はやっぱり別ですね。

ーーアルバムの歌詞カードの最初に散文詩が載ってるというのは本当にもうずっと前からね、そういう形を取ってますけど、その頃からずっとそうだった?
デビューしてすぐから、実はアマチュアの時から、歌詞というのが書けなくて、というのは興味がなかったんですよ。歌詞ってメロディがついてなんとなく並んでいれば良いんじゃないかというくらいな感覚だったんです、昔。で、デビューする頃に、ポプコンというコンテストの時に、歌詞の重要性にそろそろ、ちょいと気が付き始めて。デビューしてからですね。こんなに歌詞が大切かと思うようになったのは。楽曲ってほぼ70%がメロディなんですよ。人を惹きつけるのは。よく、曲が良いよね、曲良いよねって言う。詞が良いよね、という言い方はあんまりしないですよね。あの曲良いよねって言うね。と言われるように、楽曲のキャッチは70%は曲ですよ。これはもう間違いない。

ーー最後は歌詞ですけどね。
そうなんですよ。振り向かせるのは曲。だけど振り向かせた後で、その楽曲を大事にしてもらえるのは歌詞なんですよね。だから、歌詞にかける時間とか集中力とか、自分の中のモノを作るときの本気の度合いとかっていうのは曲を作るよりも歌詞の方が強いですね。メロディっていうのはほら、その時その時で、一瞬一瞬のアドリブで出て来たメロディを、良い所を拾って繋ぎ合わせると楽曲になるじゃないですか。歌詞の場合はアドリブでは出来ないので。やっぱり凄くしっかり書いていかないと。だからデビュー当時はもう、渋谷に出て本屋さん巡りで。ありとあらゆる散文詩、家にありますね。読みまくってましたね。

ーー詞の勉強をした?
勉強だったんですかね。自分が詞が弱いとか、興味のなかった自分が音楽をやってることに、どこかやっぱり、本物ではないと言われているような気がして。本当に色んな散文詩を読みあさりましたね。

ーーまあでも、それがアルバムの歌詞カードの冒頭の散文詩になって、今でもずっと続いているということなんでしょうね。
そうですね。


◆「一度きりの笑顔」について

ーーただ、この散文詩と中の歌が連動しているようなものもありましたが。この散文詩の「一度きりの笑顔」というのはロンドンの出来事なわけですね?4番目の「London〜38 east end road」、そしてシークレットトラック、タイトルはついていないですけど、多分「一度きりの笑顔」というタイトルの曲になるのかなと思って聴いてましたけど。
そういう風に僕ら呼んでますね。タイトルないので。多分そのタイトルで合ってます。

ーー散文詩書いた時に歌はあったんですか?
ないです、ないです。
実はブログ、僕、今やってまして、その中で、ふと思いついたというのを書いたんですよ。このアルバムの中で思いついたことがあると。ぜひこのアルバムではそれをやってみたいと。実はそれは隠しトラックのことだったんですね。どんな曲になるかっていうことをイメージしてて。それであの、散文詩の「一度きりの笑顔」という、ロンドンのね、恍惚のおばあさんの歌なんですけどね。それをとにかく、歌詞ではない、散文詩のようなものがメロディになったら。恐らくだから分かり易く言うと、ミュージカルみたいなもんですよね。あのようにしてみたい、と思ったところからですね。

ーーこの「London〜38 east end road」はこれはその後?この曲も?
その曲も、もう随分前にありましたね。

ーーじゃあ「London」というのは既にアルバムの中の曲としてあって?
「east end road」という所に住んだことがあるんですね、半年間。それとその後「vivian way」という所に住んだんですよ。

ーーはい。まあ、詞の中に出てきますからね。
はい。はい。この「一度きりの笑顔」は、2回目の「vivian way」の出来事ですね。一日中外見てるおばあちゃんがいて。もう本当にね、表情を変えないんですよね。気になってしょうがなくて。外出る度おばあちゃん見てたんですけど。本当にお洋服着替えてるのかな?と思うぐらい、いつも同じような格好で。ずっと一日中外見てて。僕はある時から手を振るようにしたんですね。表情変えてくれないんだけど、それでも毎日手を振り続けたんですよ。外に出る時は。で、ある時あの、そのとき僕は子供がまだちっちゃくて。4歳と2歳、いや、5歳と3歳だったのかなあ・・・が、いきなり、おばあちゃんのところに、日本語で「おばあちゃ〜ん」と駆け寄ったことがあるんですね、まあ屈託なく。その時に一度だけ笑ってくれたんですね。それがもう本当に思い出に残っていて、あ、思い出じゃない、胸に残っていて。この光景をいつか紹介したいなと思い続けてきて、ここにきて歌になりましたね。

ーーここにきて。20年以上経って。もっとか、30年ですね。90年くらいですもんね。
うん、そうですね。


◆7曲目「オレンジの海」について

ーーそういうその記憶力、例えば、ある時に見た街角のワンシーンとか、ある人のさり気ない仕草とか、そういうものは、わりと記憶にたくさん残ってる方ですか?
僕はちょっと、異常なくらいに残っているんですよね。だからよく友人にね、ちっちゃい頃の友達に、お前変だと言われるんですけど。画像のように残っていて。こいつがこう言った時に着ていた服だとか、喋った顔だとか、その部屋の状況・・・色んな事をね、本当にちょっと僕は異常なくらい覚えているみたいで。だから僕は、昔からそうなんですけど、子どもの頃を歌った歌が多いんですよね。

ーー「オレンジの海」もそうですしね。ASKAさんの中の少年の記憶みたいのが、とてもよく出ている一曲だなと思ったりしましたけど。
はい。田家さんも、でもそうですよね?この辺の時代の楽曲は、ご理解されますよね?

ーーやっぱり好きですよ。
まだ町の中の道路が土だった頃、風で本当に土が舞っていて、その後に国の策で砂利が敷かれて。僕らズックだったから、砂利が敷かれた時に、歩く時に足の裏がゴム靴が痛くて痛くて。転ぶと怪我するし。その砂利が敷かれてとても町が綺麗になったんですけど、すぐにアスファルトになったんですよね。土の時代が長かったんですよ。砂利が敷かれた後に、よくほら、その砂利が飛んで車同士がガラス割ったりとかしてましたよね、車はねて。そういうこともあったんでしょうね。砂利の時代が短かったですね。それからすぐアスファルトになって、現在に至りますよね。うん。

ーーそういうその、自分の記憶みたいなことを歌にしていくということで考えると、歌の材料に困ることは多分ないんでしょうね。
どうなんでしょうね。確かにたくさん色んなこと覚えてますね。


◆ソロとC&Aについて

ーーそういうソロのアルバムの中でも、この『Too many people』と『Black&White』が、やっぱりとても良い、とても完成度が高い、ASKAさんらしい、色んな音楽が網羅されていて、ASKAさんにしか書けない詞がたくさん書かれているという意味では、前に出したソロアルバム、というと変ですけど、つまり、ソロアルバムと、CHAGE and ASKAという、使い分けが前はあった?
そうなんですよ。CHAGE and ASKAやりながらソロ活動やる時の・・・、一種、覚悟みたいなところがあって。それはやっぱり、CHAGE and ASKAやりながらソロやることに対しての、ある意味、抵抗感がどこかで生まれてきてたので。その抵抗を、摩擦を無くすためにどうすれば良いかということで、「実験アルバム」という風に呼んでいたんですね。

ーーライブもやらなかったですしね。最初は。
はい。実験アルバムなんだと。それで何か自分で掴むものがあったら、それをもってCHAGE and ASKAに戻るんだ、という言い方で随分、最初は出させてもらったんですよね。そうですよね。CHAGE and ASKAでもう、リードボーカルとる曲が多くて、ソロやる時に、ソロの意味はないじゃないかと随分言われたこともありましたので。あれは何となくね、自分だけの世界のものをちゃんと記録しておきたいという気持ちは・・・ずっとどこかにあったんでしょうね。だから、今のはすごく自然にやれてますね。

ーーだから『Too many people』と、この『Black&White』は、CHAGE and ASKAであっても良いし、ASKAでも。もちろんASKAだから歌えるという、そんなに境目がない感じですもんね。
全然考えてないですね。やれる曲、やりたい曲、歌いたいメロディ、書きたい詞、それしか考えてないですね。

ーー100%自分であるということになっているんでしょうけど。


◆13曲目「Fellows」とシークレットトラックについて

ーーこの、最後の曲の、「Fellows」と「僕であるために」。「Fellows」ってまあ、「仲間」という意味ですけど、これはタイトルがもう、こういうことが歌いたいんだということがあって?
そうですね。「Fellows」という言葉は随分前から自分の中にはありましたから。楽曲が出来た時に、これは「Fellows」じゃないかな、じゃこれで作ってみようっていう。フィーリングですよね、全てね。うんうん。まあ、作ってしまえばどうにでも楽曲の顔っていうのは、歌詞の顔で変わっていくんでしょうけど。あんまり迷いはなかったですね。「Fellows」も「塗りつぶして行け!」も。まあ全ての楽曲そうなんですけど。

ーーこういう「Fellows」という言葉に代表される「仲間」、まあ「音楽仲間」。特にミュージシャンもそうなんでしょうけど、『Too many people』ではクレジットが全員載ってなかったですけど、『Black&White』はクレジット全部載ってますもんね。
そうですね。約一名はね、どうしてもやっぱり、大きな仕事をしているヤツがいて。彼はね、申し訳ながってくれて。でもでも、やっぱり僕は彼の邪魔はしちゃいけないので、クレジットはやっぱり、今回もやめておこうよということで載せなかったんですけどね。
でも、今回はアルバムはね、CHAGE and ASKAとASKAソロと、まあ漏れなく参加してくれましたね、みんなね。最後、バイオリンのね、クラッシャー木村を呼べなかったのが残念だったですね。もう最後はね、最初のデータを失った1か月間のロスがあったので。もう最後は本当にスリルの3日間4日間だったですね。

ーーそれは間に合うかどうかということで?
うんうん。もう、みんな泊まり込みでした。ミュージシャンが。

ーーシークレットトラックは、そういう意味では、ピアノで歌っているという。これは、こういうシークレットでやろうという?
そうですね。シークレットにふさわしいんじゃないかなと思って。散文詩で、そのような出来事が分かるように詩を書いて。歌の場合はまた別の角度から、でも同じテーマで、という。そういう書き方してみましたけどね。


◆音楽仲間について

ーーこのラジオがですね、「明け」だっていう話がありましたけど、そういう意味ではその、ミュージシャンの人たちの好意、「友情」という口幅ったい言い方をするのも気恥ずかしいんですけど、音楽をやっている人だから分かり合えるものというのは、この間、今まで感じたことがないような色んな感じ方をされてきたんだろうなと思ったりもしたんですけど。
音楽をやっているからということよりも、長いこと一緒にいる仲間だからということの方が強いかもしれないですね。みんな本当に、みんなすぐ、声かければみんな参加してくれて。時間を取ってわざわざ来てくれて。申し訳なかったですね。ギターの是永なんて、ライブ終わって真夜中だけど行くよ!っていうので、これだけの為に夜中からレコーディングやったこともありましたね。

ーー「今がいちばんいい」だ。
そうそう。真夜中じゃないな、随分遅い時間だ。

ーーでもそれはこちらも、夜中までやってないと来れないわけでしょ?
僕?いや、是永待ってましたよ。


◆「Weare」構想ついて

ーーそういうその、ミュージシャン仲間の人たちのある種の拠点、というんでしょうかね。今年のASKAさんの活動の中に自分のレーベル「DADAレーベル」というのを『Too many people』を発売する時に作られて、今年の11月、先だって「Weare」という、配信だけのレーベルを始められてる。
レーベルじゃないですね。僕はあの、DADAレーベルがあるので。

ーー配信のレコード会社になるのかな?
配信サイトですね。もう、ちゃんと活動してる、出来るミュージシャンは良いんですよ。ね、ちゃんと自分の場所もあるし、恵まれた状態で活動されてるだろうし。僕もこういう状態でありながら、すごく恵まれた状態でやらせて頂いていて、音楽を。ただ、でもやっぱり本当に、「才能」・・・という言葉を僕が使うのは違うな、もっと世の中に出ていくべき人たちが、世の中の人に見つけてもらえなくて、なおかつパーセンテージもすごく低い中で、僕たちはちゃんと貰ってますけど、本当に若い子たちは音楽が出来る環境じゃないんですよ。毛布をかぶって歌入れしてるだなんて聞いた時にはもう・・・、とんでもないなと思って。スタジオで音楽作ることを経験させてあげたいとすごく思ったんですね。随分、それは長いこと頭の中にあって。実は、もう20年くらい前ですかね、音楽業界がいまのような状況になることはもう分かっていて、必ずこうなるというのは20年くらい前から伝えて来てたんですよ。今ここに来て、音楽がサービス業のように扱われてしまっていて。終いには今もう、ストリーミングなんていうのが諸外国は主流になってきていて。だけど、日本以外のストリーミングはちゃんとアーティストに還元されるシステムなんです。日本の場合は下手すると無料で聴かせているじゃないですか。

ーー100万曲聴き放題とかね。あんな叩き売りみたいな。叩き売り以下ですよね。
ね。あんなことしてたら、ミュージシャン食べていけないですよ、みんな。だから僕は、Weareを作った時に、大きく覆すことをやりたいなと思っていて。Weareで配信を希望してくれるミュージシャンは70%、最低。70%還元するよと。で、残り30%はと聞かれたら、5%は決済会社、これはもうしょうがない。それで6%は登録しているJASRAC、管理してもらうところですね。残りに関しては、やっぱりWeareで働いてくれるスタッフの、いわば分かり易くいうとお給料ですよね・・・の分をみんなミュージシャンが出し合えば良いと。で、ミュージシャンが集まれば集まるだけ、社員に渡すパーセンテージは、集まれば集まるほど、どんどん少なくなるから、だから、それでも黒字になったら、黒字の分を公開して、毎年自分たちが出来るところに寄付すれば良いじゃないかと。とにかく、Weareを設立したことによって、自分の所に何か他のミュージシャンが頑張ったものが入ってくるようなことにだけは絶対にしちゃいけないし、するつもりもないですから。だから僕はガラス張りで行こうと。ダウンロードなんてのも殆どが公開してないんですよ、何ダウンロードか。分からない。何ダウンロードされたかが。これだけされましたというのを信じるしかない、ということも僕はおかしいなと思っていて。僕は、Weareでは全部公開します。

ーーそれは一人のアーティスト、シンガーソングライターでやっていくと同時に、そういう「ビジネス」という言葉を使って良いかどうかは分からないんですけど。
「ビジネス」じゃないですね。これはもう、絶対に「ビジネス」じゃない。

ーーそれは何なんでしょう?環境づくり?音楽に対しての環境づくり?
ミュージシャンがミュージシャンとして活動出来るための「広場」ですよね。「広場」の一角を僕が作って、後は
そこにどんどん参加してくれるミュージシャンが増える限り「広場」は大きくなっていくという。だから僕はある意味、「共同体」と呼んでいるんですよ。だから僕は、ここで配信希望されない方は全然、ちゃんと立場もあるし、色んな側面からも自分の見せ方もあるでしょう。だから、大きなアーティストという言い方で言わせてもらうと、殆ど声かけていないんですよ。

ーーああ、なるほどね。自分でやれるわけですからね。
うん。だってもう充分だから。充分だから。


◆還暦について

ーー来年がですね、もうASKAさん、還暦になるわけですよね。そういう意味では、ここに来て、こういう音楽に対して、曲が溢れて、書きたいものが出てきて出てきてしょうがないというような状態であるとか、そういうその、レーベルを作ったりという、環境づくりに踏み出したりという、今までやってなかったこと、やりきれなかったこと、もっとやってみたいこと・・・
恐らくね、これは本当に僕が言うと、たくさんお叱りを受けるし誤解も受けるんでしょうけど。あの事件がなかったらこういうことは出来ていなかったんですよ。きっと僕は、契約という名の下に、メジャーで、何も知らずに、過去の流れから受け継いだものの中で、ぬくぬくと音楽をやってたと思うんですね。で、僕はすっかり自由になってるんですよ、今。どことも契約ない。その中で、はたと思いついたのが、20何年前から考えたことをやれるのは今じゃないかと。どこからも縛りを受けないし、全て自分がやれて自分の責任において、なおかつ世の中に喜んで頂けることになると。これは今じゃないかということで、DADAレーベルと共に、Weare構想は始まっていたんですけどね。

ーー「還暦」というのは暦が一旦ゼロに戻って、また新しいページがめくられていくという日でもあるわけですけど。
田家さんはどうでした?

ーーいやあ、やっぱり60は感慨がありましたけど、70の方がもっと大きいっすよ。諦めの境地になるんで。
そっかそっか。70、そっかそっか。もうあれですよね、もうその辺の、日本に洋楽が入ってきた、ボブ・ディランとか岡林さんとかあの辺の何か、音楽が凄まじく入れ替わる時期ですよね。田家さん、学生運動の時ですよね?

ーーそうですよ。
すごいですよね。もう、日本激動の時じゃないですか。

ーー面白かったですよ。
そうですよね・・・。日本にはね、何度かそういう時代があってるんですよね。それを経験された一人なんですよね。


◆音楽について

ーーでもまあずっと音楽は続いてますからね。いつの時代も音楽は面白いし。
うん、そうですね。

ーー新しい音楽はありますしね。
そうですね。

ーー音楽には未来も希望もあると思っているので。
はい、そうですね。僕はそこを歌わないと意味がないと思っているので。音楽って最終的に心の中に残っていくもので、どこか幸せの共有であったり、打ちひしがれてる人に対しての支えであったりとか。そういう役割を僕は音楽はすごく担っていると思うんですよね。だから、これを作れている事への僕の自分の喜びがあって、それを見極めしてくれてる方たちへの僕は逆に今度、感謝がありますね。自分の△△を聴いてくれてるってことは。だからそこは真摯に向かい合って音楽を作っていきたいですね。

ーー『Too many people』と『Black&White』は、そういうASKAさんが本当にピュアな形で出ているアルバムだなと思った、というのもありましたけどね。
はい。


◆今後の活動

ーー来年は、もう、ブログでは再来年のことを考えていると書いてましたね?
そうですね。うん。そうですね。

ーーそれは今からどこまで言えるの?
えっとね。いやいや。あの・・・、えっとですね。言えないんですけど、とりあえず決まったことがあって。1つ。僕がこれを行うのは初めてのことなんで、どっちかというと避けてきたようなことがあったんですけど。

ーーこれを行うからというのは、これからやろうとしていることを避けて来てた?
そうです。△△のようなことなんですけどね。でも再来年は、ちょっとあの、ドーンとやってみようかなと思って。僕は色んな方にね、粛々と小さなところから、さり気なくフェードオンして頭下げながら・・・。もうそんな気持ちは100倍ありますよ、自分の中に。ただ、それをやっちゃ駄目だと思ったんですね。やるからには思いっきりドンとやるべきだと思っていて。今だからこそ、世の中の人に自分のツラ見せて、しっかり歌を歌っていくっていう。だって、それを経験出来る側の立場に僕は行ってしまったわけで。何もかもやっぱり、ドア開ける立場にいますから。初めてのドアを開ける立場に、色んな意味で。だから堂々と、大きなところでドンと歌っていこうかなと思ってます。


◆エンディング

ーーアルバムでですね、1つだけ、その、不満というほどではないんですけど。
ええ、ええ、うん。

ーー物足りない。ちょっとなーと思ったことがありましてですね。
はい。はい。

ーーコーラスなんですよ。
コーラス?はい。はい。

ーーやっぱりね、もう1人の彼の声が聴こえてきちゃう。
あっ、そうですか!

ーーCHAGEさんの。
どの辺の曲でですか?

ーーいや、殆どのコーラス。
へぇ〜

ーーああ、これChageがコーラスしてくれたら良いのになあと思って・・
あ、そうですか。

ーー聴いておりましたよ。
まあ〜でもね。それはあの・・・、さっきあの・・・、チャゲアスの楽曲にあの・・・、何だろうな、込められてもおかしくない楽曲が揃ってるっていう風に仰っていたので、きっとそういう風に思って頂けたんじゃないかと思うんですけどね。
あの、まあ、いつか、まあ、どこかで、あるでしょう。あの、うん、あの、そうはなるでしょ。うん。

ーー乱暴な提案、お願い、提案だったりするんですけど。
いやいや、えぇ、えぇ、えぇ。

ーーライブでやらなくても良いですから、CHAGEさんのコーラスの入ったバージョンのこのアルバムが聴きたいと思った。
ああそうですか!

ーーコーラスだけ聴かせて下さいみたいな。
ああそうですか。

ーー乱暴で失礼な言い方していますけど。
いえいえ。とんでもないです、とんでもないです。いやあの、たくさんそういう、ブログではたくさんそういう・・・

ーーそういう感想あるでしょうね。
あります、あります。そこはもう、自分の中では、何て言うんですかね、憶することなく、そこは押しのけてでもやって行こうというところでいますので。今はそういう時期だと思ってます。

ーー分かりました〜。来年以降、還暦以降を楽しみにしてます。
そうなんだよね。ほんとそうですね。はい。還暦以降、また楽しみにしていて下さい。頑張ります。

ーーありがとうございました。
ありがとうございました。




2017.10.25 朝日新聞朝刊 全国版全段広告



世間から足を踏み外して3年が経ちました。
「僕は僕に戻るために」「僕であるために」
僕は、音楽に没頭しました。
 
その後、僕は今年2月に、アルバム
「Too many people」
をリリースしました。
記録的な5つ星レビューは、素直に嬉しかった。
 
そして、本日。
2月のアルバムにつづいての新作をリリースします。
 
今、僕が世間の足並みにこの足を揃えるには、
「過去最高」
と、言っていただける作品を生み出しつづけることなのです。
 
「過去最高」
 
今回も、そう言っていただけたらいいな。
アルバムタイトルは、
 
「Black & White」
本日、リリースです。
 
今日を僕に与えてくれてありがとう。
心から感謝いたします。
 
ASKA




2017.08.17 TV「ノンストップ!」


※2017.08.16 公開MV撮影前の取材


◆執行猶予期間中の活動について
ーー執行猶予期間中での活動。ASKAさんご自身はどう捉えて?
2年間くらいじっとした生活の中で、色々考えることがあったかというと実はそんなに考えてなかったような気がするんですよね。何気に時間だけが過ぎていく中で、結局何もなかったら、その空虚な中で何をしてしまうかと言うと想像がつきますよね。僕の場合は仕事をすることで全てのことを埋められたので、そういう意味ではこの仕事に巡り合って幸せだったなと思いますね。


◆覚醒剤について
いや、罪悪感はあると思いますね、ただ、目の前に現れたときにそれを覚醒剤だとは思わなかった。1回吸うと11〜12時間もつんですよ。すごく目がしっかり覚醒する。結局覚醒剤って知らないから一時間おきに使っていたんです。それも3週間続けて。まぁあの時は本当に全てがそれに支配されていた時ですね。それが後に覚醒剤だって知った時にはどうしようもなかったですね。結局覚醒剤が切れる時というのは、これ僕の症状だけかと思ったんですけどやっぱり同じような方いらっしゃって、2日間3日間まったく起きられないんですよ、いわゆる薬が抜ける時のね。もう冷や汗の中でとにかくこんこんと眠り続けるんですね。トイレ行く以外はもう殆ど寝てますね、動けない。結局仕事もあるわけですよ、仕事くるときにこのこんこんと起きれない状態じゃまずいんですよ、結果的にまた使用してしまうというね。使ってはいけないものを使っているんだという意識はすごくありましたけど、途中からは必要なものという意識しかなかったので。

ーー今、覚醒剤の誘惑でしたり・・
ないない!ないですよ。誘惑があったりとか、どなたかは握手会で握らされたとかさ、色んなことを聞くんですけど、そんなものは何もないですよ。うん。

ーー今はもう、1回目の逮捕から今までの間に覚醒剤の使用については?
見たこともない。うん。

ーー欲しいと思ったりは?
しない。


◆離婚した元妻への思い
えっと・・・、色んなことがあってのことなんで。時期が来たんだなということで結果的に2人で連絡を、お互い取って、そしたら明日ブログで発表するわ、ということで。お互い気を付けなきゃいけないこと、もちろんやっぱり、すごい世間の目に晒・・、好奇の目で見られるわけですから。僕は構わないですけど。あの・・・もう・・・まあ、あえて妻と言わせてもらいますけど、妻は一般人なので、そこは「守らなきゃいけない」という意識が強かったですね。
お互いあとどのくらい人生があるかわからないですけどね。まあでも、その時間をお互い応援しあおうってことでいいんじゃないかということで。だから・・・。嘘偽りなくやっぱり感謝はいっぱいですね。うん。そうですね。うん。

ーー事件以降、Chageさんとはお話したり、お会いしたりということはあったんですか?
あんまりしてないですね。うん。あんまりしてないですね。あんまりしなくていいんですよ、そこは。メール送りましたよ、すぐ。僕らの間では「悪かった」で良いんですよ、それ以上、必要ない。だって・・・何かあの・・・「親しき仲にも・・・」ってあるんですけど、もっとそこを飛び越えてしまえば、何も言わなくてもいいところまでいきますからね。だからあの・・・「悪かった」、あの・・・「お前がソロ活動をやってくれてるのすごい嬉しい」と、「応援している」と、そんな内容でしたね。


◆CHAGE and ASKA 復活について
ーーCHAGE and ASKAの活動というのを、ファンの方、いつかななんて思ったりするんでしょうけど、どうなんですか?
ないですね。それはないです。あの・・・まだまだないですよ。というのは、今お互いがソロやっていることで、一生懸命自分たちの土台作り、もともと二人はソロでしたから。土台作りをやってる上で、今ここに来て、二人で揃ってやるってことは、色んなことのプロモーション含んでいるんじゃないかというふうにしか見えないですよ、そこは。それともう一つはね、自分たちが許せない。本当にチャゲアスはね、ステージでお互いが楽しまなきゃいけない。この楽しんでる姿を見て、お客さん初めて喜んでくれるし、ステージで心から楽しんでない二人を見せるのはこんな失礼なことはない。だから、それはね、時期が来てどっちともなくね、そういう精神状態になった時には、まあこれは阿吽ですよ。「そろそろやるか」ってどちらか言いますから。今やるのは不自然ですよ。特に不自然、今は。


◆そして、最後に・・・
もう、一辺倒の申し訳ありませんでしたは意味がない。そこは、だって、そういうこと分かってるじゃないですか、ね。僕はよく思うんですけど「この度は世間をお騒がせして申し訳ありませんでした」って深々と頭を下げる、そこに何の意味があるんだろうと思うんですね。本当に申し訳ありませんでしたって言うのは、身内だと思うんですよ。言わなければいけないのは。世間に申し訳ありませんでしたっていう、その、世間にその言葉を発することは、何となく僕は、一つの形を演じているだけにすぎないので、それなら僕は、自分の音楽をしっかり作っていくということで示した方が良いなっていうふうに思ってます。もうそれだけです。




2017.08.17 TV「バイキング」


※2017.08.16 公開MV撮影前の取材


◆執行猶予中の活動再開について
ーー活動再開ということに至ってなんですけれども、早すぎるんじゃないかという声も実際あります。それについてはどう思われます?
うーん、そうですね。人間の時間っていうのは違うので。これを早すぎると捉える方はそうだろうし、そうではないと言われる方はそうだろうし、様々だと思うんですね。僕の場合は、普通の時間とは違うみたいで。早く流れてるみたいで。だから充分、色んなことを潜り抜けて・・・まあきっかけもあったんですけどね。「さぁやるぞ」という気になってきましたんで。

ーーそのきっかけというのは何だったんでしょう?
いやいや、それはね。言うことじゃないんですけどね。あの・・・いわゆる「仲間」ですよね。うんうん。何だかんだいう中で「さぁやりますよ」の一言で「行こうか」と。

ーー色々あったけれども、その本当に、ASKAさんの周りから離れなかった「仲間」もいたと?
うん。有り難いことに、みんな、そうでいてくれましたね。


◆離婚について
ーー支えとなった家族、奥様、の存在が、今ないわけですよね、今ASKAさんの支えって何ですか?
どうなんでしょうね。家族の支え・・・、どうなんでしょう。それは、物理的な支えもあると思うんですけど、精神的な支えというのが一番大きくて、その精神的な支えという意味では変わらないですからね。うん、だからまぁあの、お互い応援し合おうよというところで来ましたので。あの・・・雑誌などで書かれている事はないです。はい。


◆薬物の再使用を心配する声について
ーーまた、薬物に手を出したりとか、そういうふうなことを・・・
もうよくね、言われるんですよ、過去の例がそういう事もあったんでしょうけどね。支えがなくなったら薬物に走るだとか、仕事が上手くいかなくなったら薬物に走るだとか、色んなこと言われるんですけど。走るやつは走る、もうそれだけです。家族があろうがなかろうが仕事が上手くいこうがいくまいが、やる奴はやる、それだけの話です。

ーーASKAさんは?
僕は今のところ見てもないので。だから今のところ大丈夫ですね。はい。

ーー今のところ。お約束して頂けない?
いやいや、約束してますよ。まああの、元々がね、これも非常に説明しづらいんですけどね、知らないで入ったから。あれがそれだというのは知らなかった。1時間おきに使ってたんですよ。1時間おきに3週間続けてしまったところで「それは覚醒剤だよ」と言われて。あの時はびっくりしましたね。僕はちょっと、これも理由にならないですけど、起きてなきゃいけない理由があったので、どうしても。半ば「これが必要なものだ」と思ってましたね。今考えれば大きな間違いなんですけど。




2017.02.07 週刊誌「SPA! (2017年02月14・21日合併号)」


※一部抜粋


――『700番第二巻/第三巻』は完全書き下ろしです。ASKAさんにとって本を執筆するという行為は?作詞して、歌を作ることとの違いなどはあるのでしょうか。
ASKA 歌は伝わっていくもの、本は今を知ってもらうもの……その違いですね。たとえばテーブルの上にコップがあるとイメージします。伝え手の僕はコーヒーだと思っているけど、受け手はコーラなのかサイダーなのかわからない。伝え手と受け手の間に景色の違いがあって当然で、僕が歌う風景や感情は受け手によってそれぞれ異なるモノに変換される。ある意味、無限であるもの。それが歌、音楽だと思っています。
 
――では、「書く」こととは?
ASKA 逆に、伝え手と受け手の景色が同じもの。より細かく描写や感情を伝えて、自分の目で見たもの、感じたものが、そのまま読者の五感に繁がる、読みながら同時体験してもらえるというのが理想ですね。


◆嘘の「事実」が独り歩きしていく
――具体的にはどんな内容でした?
ASKA ドラッグの経験を尋ねられて「20年前に一度だけ、ロンドンでエクスタシーというものをドラッグとは知らずに飲んだことがあります」と答えました。しかし翌日「20年前からドラッグをやっていた」と発表されました。また、僕の部屋から「MDMAを粉末状にしたものを発見、一緒に逮捕された女性に盛った証拠」と発表しました。その後、科捜研の調べでMDMAではないことが判明しました。お菓子の類いだったと思います。が、「MDMAではなかった」という発表はしませんでした。結果、僕が彼女に盛ったという「事実」だけが独り歩きしたのです。
 
――2度目の凍蒲前にも、捜査情報がリークされたのか大勢の報這陣が自宅前に集まりました。
ASKA まあ、警察にも諸事情があって、偶然、そうなってしまったのかもしれません。広報の発表も、発信されたのです。記者が間違えて受け取っただけなのかもしれません。しかし、僕の中には、信じてはいけないという印象が強烈に残ってしまいました。今回、お茶をスポイトに吸わせてポケットに仕舞いこむなんて手の込んだ策を弄したのも、「まともに尿を出したら終わりだ」と思ったんです。
 過去に覚醒剤を使用−−その事実で発言のすべてが病気扱いされ、さらにはそれが、3か月の強制入院、2度目の逮捕、報道の嘘に繋がった。周囲の理解を得られない状況下でASKAがすがった、武器がペンと音楽……その2つであった。
「やっと語れる時がきた」
そう話すASKAが内に秘めてきたものとは……?その一挙手一投足に注目が集まる。




2016.12.27 週刊誌「SPA! (2017年01月03・10日合併号)」


※一部抜粋


――アーティストとしての復帰と新しい楽曲を待觜望むファンも多いが、今後のビジョンは?
ASKA アルバム制作のために仲間や故郷の福岡が道を拓いてくれました。大勢の人に支えられてここまで辿り着いたのに、このタイミングで再犯して大事な人たちを裏切るわけがないんです。ただ、勾留された20日間は本当に痛手でした。50曲から選りすぐった渦曲のミックスダウンの最終日に尿検査、その3日後に逮捕だったので。今はとにかく、早く曲を聴いてもらいたいという思いだけです。足踏みはしたけど、応援してくれるファンの皆様の期待に応えられるよう頑張ります。




Chageインタビュー
2014.12.25 TV「ノンストップ!」



ーーChageさんにとって今年はどんな1年?
そうね・・・今年は皆さんの方が良くご存じだと思いますけど。でも・・・まあね・・・なんだろう・・・とんでもないことが起きたのも事実ですけれども、なんかそれを踏まえて、前に進めることができた年じゃないかなという気持ちがあります。僕が言うのもなんですが、一番勇気をもらったのがファンの方でしたから。ファンの方が僕の背中をグッと押してステージに上げてくれましたし。それはやっぱり何よりも僕の宝物だと思っていますから。やっぱりファンの方がいなかったら、やっぱり、僕の音楽は今年いったん止まっていたでしょうね。それを継続させてくれたのが、僕らのファンだったと思います。感謝しています。


◆選曲に込められた思い・・・
今回もかなり、自分のソロの曲もやりましたけど、チャゲアスの楽曲もやらせていただいたのでファンの方も喜んでいただけたんじゃないかなと思っていますけどね。チャゲアスの楽曲を歌えることも嬉しかったですね。

ーーチャゲアスの楽曲が歌えることが嬉しかった?
うれしいですね、それはそうですよ。やっぱり僕らが作った楽曲なんで・・・それはやっぱり、ひょっとしたら聴きたくもないよという方もいらっしゃるかもしれないじゃないですか?それが今夜、そういう方はいらっしゃらなくて、本当に受け入れてくれて。拍手をいっぱいいただいて。こんな冥利に尽きることはありません。本当に感謝しています。

ーーチャゲアスの楽曲は思い出がよぎる?
いやそうじゃなくて、いい楽曲であるという、自分たちの楽曲は。だから堂々と歌いたい、聴いてもらいたいという気持ちが一番ですね。


◆ASKAへの思い・・・
ーーASKAと5月以降連絡は?
うんうん、あの・・・まあ、それはちょっとね・・・。今ここで言うと、また僕が言うことによって、尾ひれはひれ付いて、またご迷惑かける方がいらっしゃると思いますので。

ーー今は連絡を取っていない?
うん。あの・・・どちらかというと・・・、そっとしてあげたいかなと。逆に。そして自分を取り戻して欲しい。一人で。その方が、周りがとやかく言うよりも、自分自身に自問自答して、そして気付いて、そして行動を起こして欲しいというのが今。まだね・・・はっきり言って僕の中でもまだ整理は付いていないんですよ。このことに関してはやっぱり・・・それは彼も同じでしょうし・・・そういう意味では、じゃあお互いに自分自身で、お互いにまず道を見つけ出して、それからでいいと思います。そういう時が来たら・・・多分・・・長い付き合いですから・・・こういう場所ではなく、本当に二人きりで話し合うことができると思いますよ。

ーー長い付き合い・・・?
まあね、もう本当にぶっちゃけ、どんな状況になろうとも・・・40年近い付き合いですからね。これは誰がどうのこうのって・・・言われても事実ですから。後は彼が、今後努力していただいて、それをちゃんと見守っていくことが僕の役割かなと思っていますけどね。


◆CHAGE and ASKAの今後・・・
ーー今後一緒には・・・?
それは全然。たださっきも言ったように、もう少しちょっと今はそっとしておいてあげて欲しいかなと思って。だから逆に焦らないで欲しいし。こうなった以上、もう。逆に焦らないで落ち着いて、とにかくまず、自分自身というのに向かい合って、ASKAと呼ばれる前の僕の知っている宮ア重明という一人の男性・人間として、そこに一編戻っていただいて。そこからだと思いますよ。そこからやっと僕らは、振り出しに戻れることが許されるかどうか、ということが判断できるんだと思いますので。今からどうのこうのというのは全然考えていないです。まずはやるべきことをちゃんとやりましょうということですね。
まあね、56年も生きていれば、辛いことは今までもいっぱいあったんですよ。その都度思うことは、自分一人ではないという。必ず辛いときには周りの助けが必ず来てね。それはスタッフでありメンバーであり、そして何よりも僕らのファンである方が、常に勇気をもらって、そして前に進むことが出来て、それで克服することが出来たんじゃないかと思っていますけど。まあでも、楽しいことは、いっぱい話してもいいんですけど。まああの、辛いことというのは、自分の胸の中に秘めておく方が僕はカッコイイかなと思っていますので、あんまりちょっと、しゃべるのは止めておきます。


◆今年1年を振り返って・・・
試されているんですよ、僕は。「Chageどうするんだ、こういう時は!」と。音楽に試されている。それは常に最近はつくづく思いますね。今年の一年を表すのであれば「試されている」という。「試された」という年でもいいと思いますよ。実は曲が出来なかったんですよ。これって結構ミュージシャンにとっては致命的なことだったんですけど。

ーーそれはいつぐらいのこと?
いつかな・・・夏前ぐらいですね・・・夏にかけて。それがおのずと今回は、やっぱり前に進もうという。自分で決断を下しましたので。それを来年実行して、今年お世話になった方々、そして何よりもファンの方々に音楽を通して恩返しをしていく。これが僕のこれからの活動だと思います。





※非公式サイトです。ご意見、お問い合わせは、こちらまで。

Copyright(C) 2018- cosmos All Rights Reserved.